広報委員会特別企画「長太郎物語」
15-4.打つ手は無限なり
【“超明朗思考”の極意】
 生きていく日々にはいろんな日がある。ときに、絶体絶命の窮地に追い込まれる場面もある。そんな時、人間として経営者として、どんな心がまえで過ごせば『打つ手は無限』に通じるのか。
 長太郎なら、どう考えるか。幽界に生きる長太郎と、しばし心の対話を試みてみよう。
◆考えよ、しかし心配するな
「打つ手の無限」詩碑(碑では、打つ手「の」とある)
「打つ手の無限」詩碑(碑では、打つ手「の」とある)
 ―長太郎さん、「愚痴は言うな、打つ手は無限」とおっしゃいますが、そんな境地へ凡人はなかなか行けません。人生、行きづまった時はどうしたらいいんですか?
 「うん、大事に直面した時は、第一にまず心の整理をせよ、と言いたいね。何もかも一たん白紙に戻して、心の大掃除をしてみるチャンスだ、と思い直せばいい。そして、よく考えるんだよ。ただし、考えるのはいいとして、考え過ぎはいけないね。
 ところが、たいていの人間は、考え過ぎて駄目になるんだな。熟考は必要だが、あれこれ考えているうちに、それが過ぎちまって、もっとこんな障害が来たらどうしようとか、その対策はこうしてああして・・・と、そのうち自分が本来めざしていたものまで見失ってしまう。もっと真っ直ぐな道を一本、恐れず着実に進めば、意外に正面突破できるものを、ごちゃごちゃ考え過ぎるから迷路に入ってしまうんだよ。
 だから私は、『よく考えはするが、心配はしない』ことをモットーにしてきた。心配や取り越し苦労ばかりして、すこしは快方に向かうなら話は別だが、心配くらい無益なものはない。百害あって一利なし、だよ。なぜ心配がいけないかというと、自分の持っている能力が半減して、駄目になってしまうからだ。
 『考えよ、しかし心配するな』。これは、私の絶対といってもいい信条だね。」
◆人生に失敗はない
 ―暗い人や愚痴っぽい人は、よく過去の事実と反対の事柄を仮定して嘆きますね。もしあの時、ああしていたら、こうならずに済んだのに・・・と。
 「そういう“仮定法の人生”を送る人間に成功はないね。そういう人たちは、仮定を口にすることによって、現実がまるで逆転するとでも信じているみたいだが、愚痴を百万遍となえてもタイムトンネルをくぐって過去の修正が利く、なんてことは絶対にない。
 悪い事にぶつかった時は、さらに大きな飛躍にのぞめる絶好のチャンスだ、と思えばいいんだよ。だから、世の中に失敗は有りえない、と私は言ってきた。失敗という穴に転げ落ちた時、実はもう成功のシッポをつかんでいるようなものなんだ。月謝は高くついても、“なぜ失敗が起きたか”が学べれば安いものだ、と考えてはどうか。失敗の原因の分析こそが非常に大事なことで、そこからのみ次の飛躍が望める。『人生に失敗はない』と私が説くゆえんだ。
 もし失敗というものがあるとすれば、自分の責任を第三者に転嫁して相手を責めるときだな。この場合にのみ禍根は残り、失敗は失敗のままで終わる。
 どんな問題が起きたって、『原因は自分にある、自分に非がある』と受けとめる訓練を常日頃からしておくといいね。人間はとかく誰かを責めたがるものだが、純粋な明るさは“責め”が無くなったとき初めて生まれるものだ。」
次号(打つ手は無限なり~常識を捨ててこそ)へ続く
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