広報委員会特別企画「長太郎物語」
15-3.打つ手は無限なり
【大切なのは、明るい見方と笑顔】
 長太郎はもともと明るい考え方と人柄の持ち主だった・・・と思わせるエピソードが、いくつかある。
◆おれは必ず治るぞ
「打つ手の無限」詩碑(碑では、打つ手「の」とある)
「打つ手の無限」詩碑(碑では、打つ手「の」とある)
 兵隊時代、肺結核の宣告を受けて入院した。昭和15年、21歳の時である。その時も、呑気だった。結核といえば当時は特効薬もなく、死に至る不治の病とされた。だが、挫折感はまるで無かった。
 〈おれは海で鍛えた丈夫な体をしている。だから、必ず治るんだ!〉そう信じてやまなかった。
 周囲には同じ宣告を受けて前途を悲観し、精神的にもかなり参っている仲間がゴロゴロ居た。そういう連中に限って、病状はどんどん悪化した。
 「滝口はそんな体で、よくもまあ冗談ばかりたたけるもんだ。どうして、そんなに平気でいられるんだ?」と、周囲からあきれられた。
 「おまえらは頭がいいから、先へ先へと心配の先まわりをして、わざと病気を悪くしているんだ。」と笑って答えた。1年後、病気は長太郎から逃げていった。
◆この人はどうなってる?
 事業商売を始めるに及んで、お金のことで命をすり減らす思いをすることが日常茶飯事となった。手帳には手形決済日がびっしり記入されていて、ほかの事を書きこむ余白もない。そんな手帳を何十年と持ち歩いた。
 しかし、長太郎が苦虫をかみつぶしたような表情をしたのを見た人や、その愚痴・泣きごとを聞いたという人は、全く居ない。親しかった或る銀行筋の人は、
 「あの当時は、舞台裏は火の車だったのだろうが、長太郎が心配そうな顔をしているのを見たことがなかったね。この人はいったい、どうなってるんだろう? と思ったよ。」と述懐する。
 社員第一号として長太郎商店に入社以来、経理畑一筋に長太郎社長とともに辛酸をなめた金庫番の椎野初江(のち常務取締役)は、こう証言する。
 「きょうの3時までに入金しないと手形が落ちないという時でも、社長はいつも平気な顔をしてましたね。私が、“困った、大変だ”とこぼすと、『金を扱っている人間がそうこぼしてばかりいると、それこそ困ったことになる。集金が思うようにいかないからといって、あんたが“困った”を連発して金ができるんなら、話は別だがね……』と、しばしば諭されました。」
 信頼していた社員から1億円の使い込みをされるという事件が起きた。新聞や週刊誌にも派手に書き立てられた。役員も関係者も、目の色を変えた。社内中に動揺が走った。
 しかし、長太郎ひとり、にこにこしていた。もちろん、打つべき手は敏速に打った上で、あとはまるで他人事のようだった。ある役員は、「これだけの不祥事が起きて、よくもまあ笑っていられるもんだ」と訝った。そういう人たちに、長太郎は言った。
 「では、目の色を変えたら損失分が戻ってくるというのか。第一、起きちまった事はしようがないじゃないか。それより社長が暗い顔色をしていたら、それを見た社員にどんな影響を与えるか、そっちのほうが大事だとは思わないのかね。」
 それにしても、昔のあの泣き虫小僧時代の竜雄少年からは想像を絶する変貌ぶりである。
 それについて、長太郎は語る―。
 「一遍に明るい性格に変わったわけではありません。何かにぶつかるたびに、階段式に成長したみたいです。ぶつかったから変わったのか、もともとの性格がそうだったから階段を昇れたのか。まあ“鶏と卵”みたいなもので、どちらとも言い難し、といったところでしょうか・・・。」
次号(打つ手は無限なり~“超明朗思考”の極意)へ続く
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