広報委員会特別企画「長太郎物語」
7-1.非常識こそ独創に通じる道
【中国料理レストランの夢】
 「長太郎団地」「長太郎ボウル」の成功をバックに、長太郎の事業欲は、さらに新しい分野へチャレンジすることに向けられた。
 中国料理レストラン「長太郎飯店」は、昭和45年12月、長太郎会館にオープンの日を迎える。
 「住」とならんで「食」は、いつの時代、どこでも、だれにも、生きていくうえに不可欠のものとして付いてまわる。いつかは、事業としてやってみたい分野だった。長太郎会館の建設計画が具体化した時点で、レストランを含めることを正式に決めた。
 「食」にも、和・洋・中の3通りがある。中国料理を選んだのは、これからの日本では中国ものが伸びる、という漠たる確信を得ていたことによる。
◆事前調査でつかんだ業界常識
女性好みのファミリースタイルが売りものの長太郎飯店にて
女性好みのファミリースタイルが売りものの長太郎飯店にて
 準備には、2年有余をかけた。
 東京・横浜を振り出しに、遠くは大阪や神戸あたりまで足を延ばし、旨いと定評のある中国料理店を食べ歩いた。社員を伴ったり、食通の先輩や知人に案内役を頼んだこともある。最もよく通ったのは、やはり横浜の中華街だった。ひとくちに中国料理といっても、北京料理をはじめ、広東料理・四川料理・上海料理など、実に多彩で、味はそれぞれに特色が強い。
 ボウリングの時と同様、最も知りたいのは、経営のノウハウ、特に裏側の事情である。これはと思う店に通いつめて馴染みの客になると、その店の支配人やコック長とも親しくなり、こちらの質問にもわりと気さくに答えてくれた。
 そうした知識を総合してみると、この業界の概略や常識がいくつか浮き彫りになってきた。自分で気付いたことも含めると―。
 まず中国料理の客層は、日本人が圧倒的に多いということ。日本にある店だから当然といえば当然のことながら、これは、のちに長太郎飯店の特色を打ち出す際の最重要ポイントとして改めて再認識した。
 一方、経営者の7割は中国人であること。名の通った一流店であるほど、料理長などの幹部は本場から来た中国人で占められている。そして厨房のことに関するかぎり、味から材料の仕入れ、人事や給与に至るまで、いっさいの権限と責任は中国人コック長が握っていて、経営者といえども口が出せない、という不文律があることも分かった。
 味については、それぞれに「旨い」と評判の高い店で、その特色が際立てば際立つほど、刺激的な香料やどぎつい辛さや甘さなど、味に特有のこだわりやクセがある。そこがまた中国料理通のファンにとっては、たまらない魅力なのでもあった。
 店の広さという点では、個室はともかく、一般のテーブル席はどの店も共通して窮屈で、空間的ゆとりに乏しい。ゆったりと落ち着いて料理を味わう気分には程遠い感じだった。
 またお座敷を有する一流店では、ちょっとしたサービスにも仲居さんにチップを渡す慣例が一般化していた。
次号(非常識こそ独創に通じる道~日本人に喜ばれる日本的中国料理)へ続く
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