広報委員会特別企画「長太郎物語」
7-3.非常識こそ独創に通じる道
【「非常識」に立ちはだかる“常識”】
 さて計画を立案して、金融筋をはじめ関係各方面の間を持って廻った。俄然、猛反対の集中砲火を浴びることになった。
 反対理由の具体的各論はさまざまだったが、そのいずれにも共通するのは、長太郎の考え方が「非常識すぎる」という声であった。「失敗は目に見えている」と、異口同音に非難された。「素人考えの甘さ」、「机上の空論」、はては「邪道」といった言葉まで、ぽんぽんと飛び出した。
◆長太郎は気でも狂った?
女性好みのファミリースタイルが売りものの長太郎飯店にて
女性好みのファミリースタイルが売りものの長太郎飯店にて
 最も強く再考を求められたのは、中国人コックを使うべし、という点である。さもないと良い客は絶対に来ないし、来ても逃げてしまう、と。「そんなにあんたは中国人が嫌いなのか?」という珍問まで出た。長太郎は中国人とよく間違えられるほど、顔つきが彼らに似ている。ふだんからそれを自慢にするくらい、実は中国人が大好きだったのに・・・。
 もうひとつ再検討を迫られたのは、広さの問題である。計画では、長太郎会館の1階と2階とを飯店に充てる案になっていた。合わせると、計1,000坪の広さになる。設計図によれば、玄関とロビーにたっぷりスペースを取って、吹き抜けの部分もある。厨房は両階にそれぞれあり、和室も含めて部屋数は多い。
 東京・芝の或る中国料理の名店は3階建てだが、総面積は330坪にすぎないという。長太郎は気でも狂ったか、と言わんばかりの苦言を呈された。それに和室は、中国料理にはいかがなものか? との指摘も受けた。
 特に懇意にしていた或る人は、レジャー産業の元祖ともいうべき阪急の小林一三翁の弟子だった。彼は一三翁の言を引いて忠告してくれた。飲食店は、店の建築費や人件費に金をかけてはならない。効率の如何が成功・不成功の岐路だ。普通、従業員は10坪に一人の割として、長太郎飯店の場合、1,000坪では百人も要するではないか、と。
◆傾聴と熟慮の上で
 こうした反対や忠告を、長太郎は一言も聞き漏らすまいと、そのどれもに誠実に耳を傾けた。そして、その一つひとつについて、熟慮を加えた。その上で、それらに丁寧に反論した。
 中国人コックを採用しないのは、好き嫌いの問題ではなく、彼らを使えば、「長太郎飯店」の根本方針や独自色を貫けなくなるからであること。その点を重ねて説明した。
 広さの問題について。玄関やロビーを思い切って大きく取るのは、空間を生かす発想からであること。無用なふうに見えて空間は、実はゆとりの雰囲気や落ち着いたムードづくりに、大きな効果を生みだす。他のどこにもない特長として話題にもなろうし、それなりのメリットは大きい、ことを強調した。
 長太郎は余白や余韻というものを大事にした。自分が出す新聞広告でもブランクの部分を重視する。省略や芸の世界でいう「間」には意味がある。間や余白の部分が実は雄弁に語りかけていることも多い。「言わぬは言うにいや優る」の理である。
 和室無用論に対しては、お座敷洋食がある以上、“お座敷中国料理”が成り立たない理屈はない。和室がいい、和室でなければ・・・というお客は必ずあるはずだ、と応じた。
 長太郎に批判的な人たちはよく、「あんたの話は理屈としては分からなくもない。しかし常識からは外れるね」と、最後は常識論に帰着した。
「では、常識的なら成功するんですか?」
「確率はうんと高くなるだろうな。」
「では、保証していただけますね?」
―ここで、相手はたいてい沈黙してしまうことが、しばしばだった。
◆「非常識」に賭ける
 多くの常識的反対論と長太郎の非常識的アイディアが、もっとも一日や二日で決着がついたわけではない。平行線の間隔が狭まるには時間を要した。
 いや、長太郎自身の考え方も、ぐらついた。学識もあり経験も豊富なその道の専門家から「あんたはおかしい」と、理路整然、突っ込まれると、自信も砕け散ってしまう。
 しかし、再考しなおしてみる。すると、自分の発想はやっぱり捨てたものではないぞ、と振り出しに戻ってくる。ぶつかっては壊され、投げ倒されては立ち直る。それを何回か繰り返すうち、おれの考えは大いに価値あり、大丈夫だ。そんな必勝の信念にまで昇華してくる。ここは、断じて初志を貫徹することにしよう。
 〈よし、素人がどれだけ「非常識」で勝負できるか、賭けてやるぞ!〉
という気概が、肚の底からふつふつと燃え立ってくる。周囲の難色や反対が強ければ強いほどエンジンのかかりがいい、という一面が長太郎にはあった。
次号(非常識こそ独創に通じる道~人事の「非常識」)へ続く
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