広報委員会特別企画「長太郎物語」
15-1.打つ手は無限なり
【道は必ず開ける】
 長太郎の人生観また信条を象徴したものに、『打つ手は無限』という名句がある。あわせて10数行から成るそれは、一見して詩のようなスタイルをとる。
打つ手は無限
すばらしい名画よりも
とてもすてきな宝石よりも
もっともっと大切なものを私は持っている。
どんな時でも
どんな苦しい場合でも
愚痴を言わない。
参ったと泣きごとを言わない。
何か方法はないだろうか
何か方法はあるはずだ
周囲を見回してみよう。
いろんな角度から眺めてみよう。
人の知恵も借りてみよう。
必ず何とかなるものである。なぜなら
打つ手は常に無限であるからだ。
◆創業時のつぶやき
「打つ手の無限」詩碑(碑では、打つ手「の」とある)
「打つ手の無限」詩碑(碑では、打つ手「の」とある)
 いつ頃、これは成ったものだろうか―。
 或る日ある時、一度に出来たものでないことは確かである。何年間かにわたる、体験からにじみ出た自身との対話、もしくは“つぶやき語録”みたいなもの、とでもいえようか。
 ご本人の回想によるならば、着想の発端は20代の創業当時に遡るという。
 26歳で復員、いかに生きるべきかに悩んだ日々、船溜りで目にした物々交換の光景がヒントになって創業を思い立つ。その時、
 「打つ手は無限・・・。」という言葉が、ふっと口から漏れた。それが最初だった。
 程無くして、創業資金を父親から得られず、少額を知友たちから借り集めて目標額を手にする。その時、やはり思わず呟いた。
 「打つ手は無限だな。」
 この原体験ともいえる場面で授かったのは、当初この短い一句のみだった。
 その後も、この言葉が口から飛び出す機会は、幾たびとなく訪れた。少々のピンチに見舞われても、
 「なあに、打つ手は無限だ。必ず何とかなる!」
 そう口にしていると、思わぬ妙案に恵まれた。気付きを実行に移すと、道は必ず開けた。
◆体験が信念に昇華
 そんな経験を何度か重ねるうち、「打つ手は無限」はひとつの信念にまで高まり、いつしか長太郎の肚にどっかと落ち着くまでに確かな成長を遂げていった。
 「打つ手は無限」を呪文のごとく常に唱えていると、一緒にいろんな言葉が尾ヒレのように付いてきて、浮かんでは消えていく。そのつど、手帳にメモしておいた。
 ときどき手帳を開いては、書き留めた言葉を整理してみる。組み合わせたり、並べ変えたり、削ったり、加えたり、言いまわしを改めたりするうち、だんだん形が整ってきた。
 兵隊時代、肺結核を患い陸軍病院で療養中、俳句のサークルに入って、その道の手ほどきを受けたことがある。以来、短い言葉で思いを表現する工夫は、きらいではなかった。
 俳句の要領で“ことば遊び”を楽しんだあげく、〈これで、もう動くことはなさそうだ〉というところに落ち着いた。それが、あの『打つ手は無限』のいわば“決定版”である。
―昭和37,8年頃のことだったろうか。
次号(打つ手は無限なり~愚痴は負け犬の習い)へ続く
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