広報委員会特別企画「長太郎物語」
15-2.打つ手は無限なり
【愚痴は負け犬の習い】
 『打つ手は無限』の一節に、「愚痴を言わない」とある。「愚痴」とは何か。改めて辞書で確かめてみると―。
 「(1)言ってもしかたがないことを言って嘆くこと。(2)[仏]三毒のひとつ。物事を正しく認識したり判断したりできないこと。愚かであること。痴。癡。」―『大辞林』―
◆弱音・泣きごと・後悔・不平不満・悪口の五毒
「打つ手の無限」詩碑(碑では、打つ手「の」とある)
「打つ手の無限」詩碑(碑では、打つ手「の」とある)
 では、「言ってもしかたがないこと」とは、どんなことか。たとえば、「ダメだ」「疲れた」「自信がない」といった弱音。「困った」「ツイてない」「どうしてくれる」などの泣きごと。「しまった」という後悔。「なんてまずい飯だ」「暑すぎる」といった不平不満。「あいつが悪い」という陰口。いずれも、暗い響きを伴った言葉だ。耳にした周りの人までもイヤな気分にさせてしまう。しかし、愚痴が口グセになっている人もいる。
 土佐に、「闘犬」という人寄せがある。猛犬を闘わせて勝負を決する一種のスポーツ的娯楽だ。試合に臨んだ犬は、たとえ小さな悲鳴をあげても(または敵に尻を向けただけでも)、“負け”と判定される。要するに、先に闘志を喪失したと見なされたほうが、負け犬となる。愚痴の多い人間は、「人生」という生きるための闘いを自ら放棄した、この負け犬みたいなものではないか。
 愚痴や泣きごとを並べるほど、事態が好転するというのなら、いい。しかし、結果はさらに悪くなることは、誰もが経験的に心当たりのある通りだろう。
◆「言霊」の神秘
 日本には古来、「言霊」という思想が伝えられる。言葉には魂が宿っており、ひとたび口から発せられるや、まるで生き物のように現実にはたらきかけ、神秘的なちからを発揮して、雨を降らせ、人を動かし、周囲に影響を与える、と考えられた。
 言霊の法則によるならば、積極的で明るい言葉をたくさん使っていると、楽しいことや歓びごとが増えてくる。希望に満ちた言葉や感謝の結晶した言葉を常にふりまいていると、それに相応しいより感謝したくなる環境や幸福に恵まれる。逆に愚痴や不平不満ばかりを口にしていると、ますます困った出来事が次々と重なって起きる。これは、祖先以来の日本人の民族体験ともいえる世界である。
次号(打つ手は無限なり~大切なのは、明るい見方と笑顔)へ続く
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