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倫理法人会とは~スペシャル・インタビュー
どのようにして倫理法人会はできたか?
佐藤光央(さとうてるお)千葉県倫理法人会2代目会長
『全社員が辞めた苦難の時代』

佐藤光央千葉県倫理法人会2代目会長
 私は父の作った自動車整備会社を継いだ。父は大学を出ておらず大変苦労したので、私を大学に進学させてくれた。卒業後はホンダに就職しようと考えていた。当時スーパーカブしか製造していなかったが、「4輪車で世界のホンダになる」と社長が言っていたり、持ち家制度があったり、非常に魅力的な会社だった。反対されるのを覚悟で父に相談したところ『好きにしろ』と言ってくれた。ところが大変寂しそうな顔をしていた。それもそのはず、私は長男で後は女の子が4人いるだけ。当然私に会社を継いで欲しいと思っていただろう。先生に相談したところ、『父親の作った会社を継いで日本一の会社にしたらどうか?』とアドバイスを受け、継ぐことにした。ところが社員は職人で、私は大学出でいきなり専務。皆から仕事をしなくてもいいと言われたので、遊び歩いていたら、10名いた社員全員が辞めてしまった。父と自分しか残らず、建て直すのに大変苦労した。

『長太郎さんとの出会い』
 その後、何とか経営を建て直し、青年会議所の理事長を務めた。青年会議所は40歳で卒業だから39歳の時だった。当時有名だった滝口長太郎氏をお呼びして講演会をすることになった。そこで初めて長太郎さんとお会いすることになる。10時に面会して講演依頼をしたところ、「わかった」と直了承してくれた。その後がすごかった。「君は何をやっているか?」と問われ、「父の会社の後継で、専務をしている。青年会議所の理事長もしている」と答えたら、「時間があるか?」と聞かれたので「あります」と。そうしたら、後に面談を待っていた10名の方に、「今度にしてくれ」と、全員追い返してしまった。その後、中華料理をご馳走になりながら、紹興酒を昼間から3本も空け、二人はとても意気投合した。宴もたけなわになった頃、机を「トントン」と叩きながら、「凄いものにであった!」と言う。「何ですか?」と聞くと「よくわからないが、何となく凄いものだ、一緒にやらないか?」と、朝5時からの家庭倫理の会に誘われた。私も二つ返事で「ハイ」と答えた。それから毎日通うようになった。

『倫理法人会設立へ』
 半年から1年が過ぎた頃、長太郎さんから「良い勉強会だから法人だけ集めてやりたい」と話が出た。そこで研究所に相談にいったが、断られた。長太郎さんは研究所に日参したが、なかなかOKを出してくれない。ようやく最後に採用された。そして、現在の倫理法人会ができた。「週1回朝6時から」「会費1万円」「1単会100社」

『何故100社か?』
 会員50社では毎朝30社集めることは難しいが、100社なら出来る。30社揃えば良い勉強会が出来る。そして100社ならホテルでモーニングセミナーが出来る。中小企業の社長が、社員教育が出来るようになることが目標。そんな考えで、100社100箇所運動を起こした。勉強しやすい環境を作ることが大切だ。やらされている訳ではない。倫理研究所のために普及活動をしているのではなく、自分たちのためである。

『77歳を迎えて』
 倫理のお陰で、会社も64年続き、自動車整備会社としては県下でも1、2を争う地位までになった。良い女房がいて、良いお客さまとの出会いなど良いことずくめだ。75歳から85才は、ものが一番分かって素晴らしい時期。85歳から90才は徹底的に人に尽くす予定。そして90歳から100才は自他共に喜ぶ世界を。100歳までピンピンすることが目標だ。これからが楽しい。
倫理の実践で会社も家庭も良くなった!
長橋 護(ながはしまもる)千葉県倫理法人会4代目会長
『すべてが倫理のおかげ』

長橋 護千葉県倫理法人会4代目会長
 倫理のおかげで、小さな業界にあって全社で社員数100名、年商60億を超える、無借金経営のできる会社になった。しかしながら、ここに来るまでの道のりは、とても平坦であったとは言い難い。“よき風”が吹き始めたのは、「倫理」から学んだ教えを実践してからである。会社も家庭も、苦しい向かい風の連続で、悪戦苦闘の毎日だったが、今振り返ってみれば、「すべてが倫理のおかげ」である。

『社員が定着しない苦難の時代』
 倫理に出会う前の当社は、社員数が12-13人。いつ倒産してもおかしくない状態であった。そんな中での一番の悩みは、社員の定着率の悪さである。遅刻、無断欠勤は当たり前で、やっと仕事に慣れ始めたころかと思うと、すぐに辞められてしまう――そんな状況が長く続いた。これを打開するために、様々なことを試みた。数々のセミナーに通って勉強をしたり、当時としては大変珍しい海外への社員旅行を行ったり、コミュニケーションを増やすための“飲み会”を頻繁に開いてみたりもした。また、「持ち土地制度」と称して、退職金の前渡しのような制度も取り入れてみた。本当に様々な「やり方」を取り入れ、実践してみたが、突破口は一向に見つからなかった。

『滝口長太郎氏との出会いと“富士研”への初参加』
 そんな中、転機が訪れたのは、滝口長太郎氏と出会ってからである。当時、「千葉県の松下幸之助、立身出世の人」と言われていた長太郎氏との出会いは今でも忘れない、昭和54年の10月に開かれた講演会であった。講演会後の会食の際に、長太郎氏と直接お話しできる機会があり、「社員が定着しない」という悩みを打ち明けた。その時に“唯一の解決策”として薦められたのが、『御殿場のセミナー』、現在の“富士研”である。私の初参加の富士研は、昭和54年11月9日。セミナーの内容は、挨拶、返事、掃除、後始末、そして「心のあり方」について――これまで通ってきた数々のセミナーの内容とは大きく異なっていた。

『衝撃的だった妻の想いと“倫理の教え”の実践』
 初参加のセミナーの中で、個人指導を受けた。先生から、「家庭もうまくいってないでしょう」と聞かれ、自信満々に「いや、家庭は上手くいっています」と答えた。家に帰って妻にその話をすると、意外な言葉が返ってきた。「何を言ってもきいてくれないし、傲慢なあなたに耐えかねて、夜中に湯呑を投げつけて、憂さ晴らししていたのよ」と。また、「離婚するつもりだった」という話が延々と、その日3時間も続いたのを覚えている。これまで何も気づけていなかった自分に、大変ショックをうけた。また同時に、「こんなに近くにいる女房のこともわからないのに、社員のことがわかるはずがない、このままでは社員が辞めるのは当たり前」と、そう思った。
 「あなたの心のあり方が、今の環境を作っている。他人を改めさせようとする前に自分を変えなさい」――富士研で指導頂いたこの言葉が心に響き、女房に対しても、社員に対しても、謝罪の念を抱いた。これがきっかけで、以降、“倫理の教え”を実践していった。

『会社を発展させるためには、看板を進んで背負え!』
 会社をよくするための方法として、倫理法人会という組織下で“役”を進んで務めることも、一つの重要な要素であると思う。私自身も、担当副会長時代も含めて、平成3年の1512社から、20周年の委員長時代を含めると8年間で、3338社(サンサンと輝く)になる迄、連続で普及畑を走り、その後県の会長を務めた。いわゆる倫理法人会の“看板”を背負ってきた。看板を背負うとはどういう事か。我が社でいえば、営業車を例にすることができる。現在、我が社では約60台のトラックを保有しているが、以前は事故が多発していた。それを改善するためにと、「看板を背負う」という意味で、車に社名と自社のカラーを示す、ラインを入れた。最初は、トラックに社名を入れて、事故でも起こしたらイメージが悪くなるとの反対もあったが、なんと事故が激減したのである。これは、社員が必然的に会社の看板を背負っていることを自覚したという現れである。これを倫理実践に置き換えても同じである。セミナーにただ出席しただけでは、学びを深めることは難しい。バッチをつけたり、役職を持つことにより、自然と意識が高まり、日々の実践が習慣化するようになる。役が自分を縛ってくれて、成長できる。役をやるからこそ学びが深まり、行動が出来るのだ。時に、役をやるために入会したのではないという人がいるが、実にもったいないことだ。

『倫理を実践すれば、必ず家庭と会社が良くなる』
――私は身を以てこれを証明できる。
倫理法人会とともに歩んだ半生
渡辺 光男(わたなべみつお)千葉県倫理法人会7代目会長
『長太郎さんとの出会い』

渡辺 光男千葉県倫理法人会7代目会長
 私は昭和45年に会計事務所を創業しました。創業当初から滝口長太郎さんの会社の顧問をさせていただいており、長太郎会館がオープンした時に、6階を賃借し、事務所を東京八重洲から船橋に移転しました。隣にいつも長太郎さんが居ましたので、深いお付き合いが始まりました。

『話し方教室から倫理の勉強まで』
 その頃の長太郎さんは、長太郎団地の造成販売、ボウリング場、中国料理、ゴルフ場オープンと全盛期で非常に忙しい日々でした。そんな時でも自己研鑚には熱心でした。昭和47年、新年の挨拶に行くと、「自分は話し方教室の開講式に行った。“話は人なり”で、良い話をするならば、先ず自分を磨くことだ。」と、話し方教室に誘われました。私も話し方の重要性を感じていましたので、一緒に勉強することにしました。トータル3年間共に学びました。

『倫理との出会い』
 私は、昭和52年に、長太郎さんに誘われて倫理に入会しました。5時からの「朝の集い」に参加するよう長太郎さんからの強い誘いもあり、取りあえず、1ヶ月間だけ、まじめに出席しようと、毎朝、自宅を4時15分に出て、船橋の朝の集いに通いました。10日間位継続して出席しているうちに、“あれ、この勉強会は私が今一番しなくてはならない勉強ではないか”と気付き、その時から現在まで、引続き勉強させていただいております。

『千葉県倫理法人会設立に向けて』
 長太郎さんは、この純粋倫理の精神を企業経営に導入すれば、必ずや企業が繁栄し、社員と家族が救われ、地域が明るくなると確信して、「倫理法人会」組織の創生に献身。その基礎を確立することに、全精魂を打ち込まれました。
 その当時、長太郎さんの身体に触れると「倫理法人会設立だ!」という火花が飛び出すような熱気を感じました。
 そして、設立陳情のため、倫理研究所本部への日参が始まり、昭和55年10月1日、晴れて全国初の千葉県倫理法人会が設立され、長太郎さんが会長、私は副会長に就任しました。翌年の昭和56年10月に単会の船橋市倫理法人会、千葉市倫理法人会が発足し、私は単会第1号の船橋の会長に就任しました。

『100社100ヶ所運動』
 長太郎さんは、新しい組織はある程度の数がないとせっかく設立された組織でも消えてしまうものだと言い、先ずは10,000社を目指そうということになりました。10,000社ということは、100社の倫理法人会を全国に100ヶ所創るということで、“100社100ヶ所運動”として、とにかく千葉県が10,000社になるまでは、手綱を緩めずに進もうと、機会があるごとに声を大にして叫んでいました。
 普及の方法は、「長太郎式ヘッドハンティング」と称して、土地の有力者に先ず入会していただき、その関係で50社近くは入会していただけるだろうと、全国各地を奔走されていました。その時の経費は殆んど長太郎さんの自己負担でやっていました。

『全国を飛び回る』
 一方、私の方も、法人局の派遣講師として全国を飛び回りました。また各県で倫理を取り入れて業績を上げている元気な会社を訪問し、社長にインタビュー、取材を行いました。その内容を毎月「倫研新報」で6年間、発表し続けました。そして、その記事を「元気な会社の元気な社長」という1冊の書籍にまとめました。

『設立25周年記念』
 長太郎さんが平成4年4月24日に亡くなった後、私は千葉県倫理法人会の7代目会長に就任しました。平成17年のことです。ちょうど設立25周年でしたので、長太郎さんと倫理法人会の軌跡を綴った「打つ手は無限だ!」を出版しました。

『事業継承』
 長男渡辺光太郎(県事務長)は、千葉県倫理法人会の後継者倫理塾の1期生として学び、倫理の勉強を深めていました。私は、後継者倫理塾の塾長を1期?6期まで務めました。平成15年に会計事務所の所長を継承しました。その時、倫理の指導を受け、「所長承継感謝の会」を東京赤坂の全日空ホテルで、お客様200名をお招きして行いました。おかげさまで、本当に理想的な形で息子へ事業承継する事ができました。

『事業繁栄は倫理経営だ』
 現在も、モーニングセミナーの講話で回っていますが、事業の繁栄と、倫理の勉強についてよく聞かれます。そこで、いつの時代でも変わらなくてはならないもの「易」と、変わってはいけないもの「不易」があり、この「不易」である理念、好ましい企業文化・組織風土(やる気集団)、徳、あり方、即ち、タテ軸について、事例を挙げながら講話しています。
 今年、私は85歳になりました。倫理のお陰で元気です。これからもこの素晴らしい倫理を全国各地に伝えていきます。
 
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