広報委員会特別企画「長太郎物語」
滝口長太郎さんの倫理との出会いと倫理法人会設立について
渡辺 光男 千葉県倫理法人会7代目会長
◆はじめに
 「倫理法人会」については、(一社)倫理研究所にお尋ねするのが、最適で、早道であります。しかし、倫理法人会というと、滝口長太郎さん(以下、長太郎さんという)との関連が話題になります。
渡辺 光男千葉県倫理法人会7代目会長
渡辺 光男千葉県倫理法人会7代目会長
 長太郎さんは、千葉が生んだ誇るべき代表的な実業家の1人でありますが、一方では、「倫理法人会生みの親」と言われてきた方でもあります。
 今から、35年前の昭和55年当時、純粋倫理の精神を企業経営に導入すれば、必ずや、企業が繁栄し、社員とその家族が救われ、地域が明るくなると確信し、「倫理法人会」組織の創生に献身、その基礎を確立することに全精魂を打ち込まれました。
 長太郎さんなくして、今日の倫理法人会は、存在しなかったと言っても決して過言ではないと思います。
 しかし、その長太郎さんも、残念ながら、今や“過去の人”となりつつあります。
 「打つ手は無限」の名言は広く知られるようにはなっても、その具体的な人物像については、時の経過と、組織の拡大とともに、「長太郎さん?WHO?」と言われつつあります。
 そこで、私は、長太郎さんが倫理と出会った当初から傍らにて、お手伝いをさせていただいた者として、記憶の薄れないうちにと思い、「長太郎さんの倫理との出会いと、倫理法人会設立について」の一端を書かせていただきました。
 少しでも読者の皆様が、今後倫理を学び、実践するうえで、ご参考になれば幸甚です。
◆倫理との出会い
 倫理法人会の会員で、滝口長太郎さんの講演を聞かれた方は、予想できないと思いますが、昭和46年までは、まったく人前では話のできる人ではありませんでした。
 昭和46年当時、長太郎さんはこんなことを言っていました。「私の会社には、社員が200名位おりますが、私は1回も結婚の媒酌人をしたことがない。それは、媒酌人の挨拶をすることができないから、適当な理由をつけて、全部断っているのです。」
 それが、昭和47年1月から、言論科学振興協会の「話し方教室」へ通うことになり、3年間勉強することになりました。何事も始めると一途に熱心に取組む長太郎さんは、「話しは人なりで、良い話をしたいと思ったら、先ず自分を磨くことだ。したがってこの話し方の勉強は実に奥が深いよ。」と、話し方の勉強に打ち込みました。やがては人前で堂々と講演ができるように、見事に変身したのであります。
 この話し方教室で学んだ人達が、船橋市商工会議所で、自主的な勉強会である「船話会」を結成し、月1回定期的に例会をもって、勉強しておりました。
 その船話会の会員で、当時(社)倫理研究所、市川支所の婦人部長であった時田ケイさんが、顔を合わせる度に、倫理の勉強を熱心に誘うので、ついに長太郎さんも根負けして、義理的に千葉支所、船橋実践部の「朝の集い」の会場である、船橋市本町の日枝神社に1日だけ出席するつもりで覗いたのが、きっかけでした。会場に入ると「わあ!長太郎さんだ、よくいらっしゃいました。どうぞ、どうぞ。」と皆さんの明るい大歓迎のあいさつで前の方の席に通されました。そこで、倫理体験報告をしていたのが、90歳になる小宮山恒信老人でした。何の気負いもなく、ピンとした姿勢で、諄々と語る、倫理の体験、並びに万人幸福の栞の内容のすばらしさに打たれました。その小宮山老人は、長太郎さんに次のように話かけてきました。「長太郎さんは、命がほしいですか?」それに長太郎さんは「勿論ほしいですよ」と答えると、即座に「では長太郎さん、今迄のような夜遅い生活をしていたら、間もなく病気になり、早死にしますよ。命がほしかったら、この朝の集いの勉強に参加し、朝型の人間に変わることですよ」と言われました。
 はっと今の生活の不健康さに気付かされたのであります。一転して夜の帝王からから朝の虜になり、毎朝5時の「朝の集い」には、直ちに「百日皆勤」を見事に達成しました。
 そして、倫理・倫理と叫び続け、社用車を全部、白のマイクロバスに替えて、「日にひとつよいことを」と車に朱書きしました。社長車も高級外車からこの車に替えました。
 早速、このすばらしい勉強は自分一人だけでは勿体ないと、経営者、かつての行政の責任者、自由業の方等、多くの知り合いの同士を誘いました。
 朝の集いの参加者もたちまち40人から50人となり、多い日には70人位で会場も溢れんばかりで、朝の集いの勉強が行われました。
◆倫理法人会の設立
千葉県倫理法人会設立を伝える新聞記事
 船橋実践部の朝の集いは、経営者層が80%、一般家庭の主婦層が20%の割合で、毎朝50名前後で、明るく活気ある勉強が行われました。従来と変って、経営者層が多くなったため、実践報告の内容も、家庭の倫理から、経営のこと、社員教育のこと、経済情勢のこと等々、空気も一変しました。
 長太郎さんが、或る時、朝の集いが終わり、座談している席上でこんなことを言いました。「今、私達の廻りの企業を見廻してみると、今私達が勉強しているこの純粋倫理らしきことを実践している企業が繁栄している。例えば、あの会社は電話すると元気があって感じが良いとか、あの会社は朝が早いとか。であれば、この倫理を企業に導入すれば、きっと企業が繁栄し、全社員が、その家族が、その地域が繁栄し、皆が幸せになるだろう。」この長太郎さんの意見に参加している経営者の全員が共鳴しました。
 そこで、企業に導入するには、どうしたら良いかという話になり、長太郎さんは次のような提案をしました。「それには、先ず、トップの経営者自身に勉強してもらうことだ。経営者が勉強しないで、他の幹部・社員が勉強したのでは、それは、企業に導入されることなく、いつの間にか消えてしまうものだ。」と同志に強く訴えました。
 「それでは、経営者に勉強してもらうには、どうしたらよいか。現在勉強している毎朝5時からの朝の集いに参加してもらうには、経営者は夜の商談、会合も多いので、無理であろう。また、朝の集いの実践報告の内容も家庭倫理のことが殆どだ。折角、経営者の方を、良い勉強会があるから参加しませんかと誘い、その経営者が朝の集いの会場に早朝無理をして、出席しても、その経営者が魅力ある内容の勉強でなく、家庭内の例えば、嫁、姑の事を勉強していたのでは、(このことも倫理では最も大事な勉強なのですが)翌日から出席してくれないだろう。だったらどうするか。それには、経営者向けの勉強をする場を別に作って、そこで、経営者向けの勉強会をすればよいだろう」ということになりました。そこで、「倫理法人会」設立の炎が点火されたのであります。
 先ず、昭和53年9月、長太郎さんの会社の幹部や、取引関係会社を中心として、朝の会場を、長太郎会館の中でスタートし、船橋実践部の中に仮称の船橋倫理法人会を作りました。会員数は70社でした。
 その後、船橋倫理法人会の活動として、朝食講演会、特別講演会を150名前後集め、開催し、その他幹部研修会も積極的に開催しました。
 そのうち、会員も船橋市地域だけに限らず、千葉市方面及び東京方面にも飛び火して、やがて100社を超える勢いとなっていきました。昭和54年7月には、京葉支所が設立され、同法人会も京葉支所・船橋倫理法人会として衣替えし、同年12月には、首都圏一円の経営者に呼びかけ、「東部管区法人会員大会」を長太郎会館で盛大に開催しました。その参加者は390名に達しました。これを契機として俄かに倫理法人会設立の気運が高まっていきました。この間、船橋倫理法人会は、長太郎さんを中心に正式倫理法人会設立について、長太郎さんが、案を練っては、その案を携え、毎日のように倫理研究所本部へ陳情に出向きました。
設立大会パンフ
船橋倫理法人会設立大会パンフ(左)
千葉県理法人会設立大会パンフ(右)
 このように、船橋倫理法人会の眼を見張るような活動と、その発展振りの実証、及び、陳情によって、ようやく認められ倫理研究所の組織局の中に「法人部」が、昭和55年9月1日に設けられました。そして、待望の「千葉県倫理法人会」が全国第1号として、昭和55年10月1日に、全国同志の希望を担って、280社で誕生しました。
 これが、口火となり、「千葉に続け!」とばかり、翌年2月に熊本県倫理法人会が、3月には鹿児島県倫理法人会が、7月には広島県倫理法人会が、8月には愛知県倫理法人会と引火して、全国に倫理法人会設立の火の手が上がったのであります。
 更に千葉県倫理法人会は、設立1年後の昭和56年10月1日には、船橋、千葉、東京の3ブロックを、それぞれ独立させ、市単位の倫理法人会設立の新機軸を打出していきました。
 そこで長太郎さんは、この時、次のようなことを声を大にして叫びました。
 「倫理研究所から、倫理法人会として認可され、千葉県が第1号としてスタートしました。しかし、新しい組織というものは或る程度の会員数がないと、いつの間にか消えてしまうものだ。では、その或る程度の会員数とはいくつだろう。それは全国で10,000社である。10,000社ということは、全国に100社の倫理法人会を100ヶ所作ることだ。」ということで、「100社100ヶ所運動」をスローガンに、普及に取り組むことになりました。長太郎さんは、役員会等開始前には、いつも「100社100ヶ所運動だ」と叫び、千葉県の人達は、全国で10,000社になるまで、手綱を緩めず頑張ることだと励ましの言葉を発し、あらゆる会合がスタートしました。
 この起爆剤となるべく、先ず「千葉県の目標1,000社」を掲げ、既存各法人会一丸となって、隣接市への新規倫理法人会の設立と、準法人会は、正法人会への昇格と進めていきました。
 この間の普及拡大については、倫理研究所の諸先生方及び、講師の方々の熱心なご指導と、地元行政機関、及び、有志の好意的なご協力により、昭和63年10月には、念願の千葉県倫理法人会1,000社達成記念祝賀会を開催することができました。この1,000社達成記念を全国にアピールして、全国倫理法人会会友の宿願である「全国10,000社達成」への魁となりました。
 この宿願である全国10,000社が達成し、平成2年6月10日に、千葉県浦安市の東京ベイ・エヌ・ケイホールにおいて、式典、記念講演が行なわれ、同日隣接ホテルにおいて、分科会、懇親パーティが、翌11日にエクスカーションとして、観光・ゴルフが参加者の選択で行われました。
 この全国10,000社大会は、千葉県が主管、東京都・宮城県が副主管として開催されました。この時、全国33都道府県から、3,000名の会友に参加していただきました。
長太郎さんと私
インド巡礼視察団の旅にて~長太郎さんと私(S58年)
 以上が、倫理法人会設立から、全国10,000社までの経過であります。
 この間、長太郎さんは、倫理法人会の普及を自分の事業経営より優先し、打ち込まれました。この熱意には知る人ぞ、全員が頭の下がる想いでありました。
 その後も全国倫理法人会20,000社へ向けて手綱を緩めず、ご尽力されました。この外に、晩年は刑務所、少年院、収容者の矯正に従事し、「倫理」と「矯正」に専ら時間を費やす日々でありました。
 平成4年4月24日享年73歳で、病気のためこの世を去りました。
 倫理法人会の設立は、長太郎さんが、倫理と出会った昭和53年頃にこの純粋倫理を企業に導入する必要性に気付かれ、叫び続けたこと。又、適切なご決断とご指導をなされた倫理研究所のご英断があったからではないでしょうか。
 「真の評価は歴史が下す」と言われています。
 平成28年には、全国倫理法人会は、60,000社を超え、70,000社に向かっております。長太郎さんは、今も草場の陰で、「早期に、100,000社達成!」と念じてくれていると思います。
 今後も倫理法人会が、日本創生の大きな糧となることを確信しております。
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